ようやく夏を越した
先週、暑さに辟易していた僕のカラダは、今週の突然の涼しさに喜んでいる。昨日は、夕方の納品のあと、刈払い機で草刈りをし、間髪を入れずに駐車場のライトをつけて、長男とサッカーの練習をした。連続技で動けるということは、気候が楽になった証拠である。もっとも、納品の前から腰が痛み始めていたが、連続技はさらに腰の状態を悪くしたようであるが…。今朝は、腰が痛くて、布団の上げ下ろしができなかった。疲れはまたもピークのようである。
世間では、野菜の高値が報じられている。全国各地の大雨や災害で、野菜不足になっているのであろう。ファーマーズマーケットでも、野菜が不足している印象だ。ここぞとばかりに、野菜の収穫量アップを目指してうちでも張り切っているが、そう簡単にはいかないで疲ればかりが増幅されているような気がする。
夏野菜は、湿度と温度がその収穫量を左右する。最高気温はあまり高くなくて良いが、最低気温は24度以上あったほうが収穫量は多くなる。25度以上であれば人間のほうが寝苦しくなる。ところが、今朝は何と20度まで気温が下がった。8月とすれば異例である。昨日の朝は22度まで下がってオクラの収穫量は激減した。とはいえ、ニラや葉ねぎなどはやや涼しいほうがよくなるし、涼しくなれば虫の量も減ってくれる。この辺りの気候のさじ加減は微妙に野菜に影響してくるのである。
気温20度とくれば、大根や白菜の種播きをする気にもなる。しかし、このあたりでは9月20日頃の気温だ。こんなに早く20度という数字を見ても、それは一過性の気候にすぎないと考える。週間天気予報では、今後も22度23度という最低気温を予想しているので、例年よりは涼しい晩夏であるようだ。種播き時期を早めなくてはいけないかもしれない。たった一週間で気候がこうも変わってくると、作業の段取りも慌ただしくなる。しかし、野菜の出荷量も増やしたい。カラダが悲鳴を上げる訳はここにあるのだ。
昨日から、子供たちは2学期の授業が始まった。ようやく生活のリズムが元に戻りつつある。どうやら何とか夏を越すことができたようで、我ながら信じられない気分である。春が来て春を越し、夏が来て夏を越す、駆け足で秋が来て、長い冬を超す。このあたり前のようにも思えるようなことが、この頃は当たり前に思えなくなっている。一つの季節を超すということが、どれほどに大変なことかを思い知らされている気分なのだ。
この秋も、もしかすると台風がやってきて、野菜を全滅させるかもしれない。先の不安は考えないことにして、今を一つ一つ越していくことは、楽器やスポーツの練習と何一つ変わらない。今を楽しむということは、へらへら笑って過ごすことではない。自分自身と格闘することが、今を楽しむことなのだ。自分のやり方が間違っているかもしれないと考えることを、自分自身を責めることにつなげるのではなくて、新しいことを考える楽しさにつなげる、その積み重ねをよしとするのだ。全体の満足はいつまでたっても得られないが、一つ一つの満足を毎日積み重ねた結果、ようやく夏を越すことができたのだろう。
2014年8月29日 寺田潤史
世間では、野菜の高値が報じられている。全国各地の大雨や災害で、野菜不足になっているのであろう。ファーマーズマーケットでも、野菜が不足している印象だ。ここぞとばかりに、野菜の収穫量アップを目指してうちでも張り切っているが、そう簡単にはいかないで疲ればかりが増幅されているような気がする。
夏野菜は、湿度と温度がその収穫量を左右する。最高気温はあまり高くなくて良いが、最低気温は24度以上あったほうが収穫量は多くなる。25度以上であれば人間のほうが寝苦しくなる。ところが、今朝は何と20度まで気温が下がった。8月とすれば異例である。昨日の朝は22度まで下がってオクラの収穫量は激減した。とはいえ、ニラや葉ねぎなどはやや涼しいほうがよくなるし、涼しくなれば虫の量も減ってくれる。この辺りの気候のさじ加減は微妙に野菜に影響してくるのである。
気温20度とくれば、大根や白菜の種播きをする気にもなる。しかし、このあたりでは9月20日頃の気温だ。こんなに早く20度という数字を見ても、それは一過性の気候にすぎないと考える。週間天気予報では、今後も22度23度という最低気温を予想しているので、例年よりは涼しい晩夏であるようだ。種播き時期を早めなくてはいけないかもしれない。たった一週間で気候がこうも変わってくると、作業の段取りも慌ただしくなる。しかし、野菜の出荷量も増やしたい。カラダが悲鳴を上げる訳はここにあるのだ。
昨日から、子供たちは2学期の授業が始まった。ようやく生活のリズムが元に戻りつつある。どうやら何とか夏を越すことができたようで、我ながら信じられない気分である。春が来て春を越し、夏が来て夏を越す、駆け足で秋が来て、長い冬を超す。このあたり前のようにも思えるようなことが、この頃は当たり前に思えなくなっている。一つの季節を超すということが、どれほどに大変なことかを思い知らされている気分なのだ。
この秋も、もしかすると台風がやってきて、野菜を全滅させるかもしれない。先の不安は考えないことにして、今を一つ一つ越していくことは、楽器やスポーツの練習と何一つ変わらない。今を楽しむということは、へらへら笑って過ごすことではない。自分自身と格闘することが、今を楽しむことなのだ。自分のやり方が間違っているかもしれないと考えることを、自分自身を責めることにつなげるのではなくて、新しいことを考える楽しさにつなげる、その積み重ねをよしとするのだ。全体の満足はいつまでたっても得られないが、一つ一つの満足を毎日積み重ねた結果、ようやく夏を越すことができたのだろう。
2014年8月29日 寺田潤史
この記事へのコメント
梅肉とあえてお弁当にも入れましたよ
美味しかったです(*´艸`)
梅肉和えですか。
美味しそうですね。