未知の世界、その三
前代未聞の春の気候となってしまったが、ようやく野菜の高騰という形のニュースで、農家が翻弄されているこの気候のことが頻繁に取り上げられるようになってきた。うちの畑だって大変なんだから、ほかも大変であることは当たり前だが、なんだか安堵してしまうのはなぜでしょう?でも、うちはようやく、先の十月の台風被害から抜け出したと確定できるまでになり、絶好調とは言えないが、好調な春になってきたのだ。葉ものが満載に近いと豊かな気分になれるものだ、とほとんど一年ぶりのような感慨である。
さて、好調とはいえ、この前代未聞の気候が今後どうなるかで、またどん底に突き落とされることも覚悟しておかなくてはいけない。問題は、四月二十日以降である。それ以降は、暖かくなければいけないのだ。それとも、暖かさを越していきなり真夏となるか、はたまた梅雨に先走るか、豪雨の連続となるか、早い台風の襲来となるか、全く予想がつかない。いまだかつて経験のないような気候が終焉するのか、続くのか、さらに加速するのか、そのどれもに対処するのは不可能だ。なるようにしかならない、されど先手先手と攻める、そういう腹積もりである。
今までと何が違うか?それは、安定した気候、例年通りの気候が見込めない、ということだ。具体例をあげてみる。例年ならば、三月から七月までの間に、胡瓜の種を三回から四回ほど播く。これでも、仲間に比べれば回数が多いほうだ。今年は、先のマイナス気温で全滅した胡瓜の苗は、すでにすべて次の苗に差し替えた。一度に一〇〇本程度の苗である。そして、今日また胡瓜の種をまいた。すでに三回目である。何かあってもすぐに次へと作業を進められるように、次から次へと種をまくのである。そのためには、労力もかかるが、種代もかかるので、できるだけ在来種を使ってコストを抑える必要がある。一代交配の高価な種では、だめになった場合の心の痛みも強く、気軽に次へと向かえるようにコストを抑えることが粘り腰のためにも重要になってくるのだ。未知の世界のことに対処するためには、あきらめない心の持続性が必須だと思う。精根尽き果てて投げだす、ということが一番よくない。何としても粘るのである。
未知の世界は、僕たちに不安を与える。知らない世界は、しかし若い人には楽しいことが待っていると思える世界かもしれない。先人がその気候をとらえて、たとえば「三寒四温」というような言葉を言い得たのだが、それを知って体験している僕たちは、「三寒四温」でないことを嘆く。少しの経験を積んだ僕たちもまた、この未知の世界に楽しい新しいことを見つけよう。何よりも、野菜自身がよい表情をしているのならばそれでよい。
2010年4月17日 寺田潤史





この記事へのコメント
te-teさんの畑も大変だろうな~
なんて思っていました。
でも、葉物が元気に育っているのですね。
ホッとします(´▽`) ホッ
皆、大変ですよー。
その中で精いっぱい、ってところです。
育っている葉ものには頭が下がります。
はじめのころはほんとに精一杯という顔をしたお野菜でしたが、
今のte-teさんのおやさいは、大変なときにさえ余裕がかんじられます。
ずっと続けてこられたご夫妻の
努力のたまものですね。
20年弱前ですね、cinnamon-cardamonさんがうちの野菜を買っていただけるようになったのは。
現在とは、野菜とのスタンスの取り方が全然違っていたかもしれないですね。
cinnamon-cardamonさんのような方に、ずっと見守られてきたんだなー、とつくづく思います。
ありがとうございます。